「ひとっちゃんの有機畑」

代表 河村 一志

農業を志し、15年勤務した三菱UFJ信託を退職。

単身北海道にわたり、当麻グリーンライフ(ワタミグループ)に転職。有機農業の基礎を学ぶ。

2007年、独立して農業を営むため、故郷である浜松市に戻り、農地探しから始める。

2008年、農地の賃貸借契約ができ、ビニールハウスを建築。本格的に有機農業を始める。

    圃場所在地:静岡県浜松市東区笠井新田町

       面積:2113㎡ うち栽培面積1360㎡

2010年、有機JAS認定取得

    認定団体 日本有機農業生産団体中央会

    認定番号 110011901 


屋号について

「ひとっちゃんの有機畑」は屋号です。

一人でしている農業なので会社組織にする必要もなく、屋号で十分なのですがこの「ひとっちゃん」には故郷への思いも込めています。

私の名前、一志はひとしと読みます。

これに「くん」や「さん」や「ちゃん」をつけてあだ名にされるとき、「ひとくん」「ひとさん」「ひとちゃん」という呼び方が一般的です。これまでに東京、千葉、大阪、北海道での居住経験がありますがどこでもそうでした。

ですが、ここ浜松では「ちゃん」のときだけ小さな「っ」が入ってきます。それは前の単語(この場合は「ひと」)にアクセントが強くなるこの地域の特性からくるものと思われます。

小学生時代、近所のおばさん達は「ひとっちゃん」と呼んでかわいがってくれました。

学校帰り、畑で焚火をしていた農家のおばちゃんが「ひとっちゃんお帰り!これ食べな」とアツアツの焼き芋をくれたことがあって、今でも鮮明に憶えています。そして、その焼き芋がこれまでで一番美味しい焼き芋です。

大学、銀行員時代、北海道の農業生産法人の頃は故郷を顧みなかった私ですが、戻ってきてみれば「ひとっちゃん」と変わらず迎え入れてくれた故郷の温かさが嬉しく、屋号に使うことにしました。

河村農場とか河村農園とか河村ファームの方が覚えやすいとは思ったのですが、有機農業への思いも込めたくて、故郷への思いと合わせてこの屋号にしました。

呼びづらい屋号ですが、皆さんに馴染んでいただけるよう「有機畑」を育てていきたいと思います。


有機農業について

きっかけは、レイチェルカーソン著「沈黙の春」と有吉佐和子著「複合汚染」の2冊の本に出会ったことです。

こう書くと一部の人から拒否反応を示されることを覚悟しなくてはなりません。

「有機農業だけが正しい」と盲目的に信じている人もいて、そういう人達がこの本を拠り所としていることが多いからで、「ああ、アレの信奉者か」と取り付く島もないくらいの反応を示されることがあります。

ちなみにこの2冊とも農薬を全否定しているのではなく、当時の米国・日本の無法図な農薬使用に対し、「使い過ぎだ」ということを健康面・環境面からデータをもとに警鐘を鳴らした本で、名著といって良いと思います。

そして、ここで提言されている「混ぜるな危険」ということは未だに有効だろうと思っています。これは農薬を混ぜて使うと危険ということではなく、残留農薬についてのことです。

農薬取締法を遵守した上でA農薬を使用して残留基準をクリア、B農薬も同様にクリア、A農薬もB農薬も同時に残留していますが、これで食品としては「安全」になります。

しかし、混ざったことへの影響は考えられていません。実際問題として農薬すべての残留結果を組み合わせて検証することは不可能でしょう。                                                          

さて私が実際に農業に踏み出すにあたって「有機農業」を選択したのは、「食べる人への健康」のためとか「環境への配慮」といった崇高なものではなく、「他人の食べ物を作るのに、なんで自分が農薬を浴びるリスクを負わきゃいけないの」という自分自身のためのものでした。

農業者に「好きで農薬を使っているか」と訊けば、すべての人から「そんな訳ないだろ!」という答えが返ってくるでしょう。使わないと病気や害虫にやられて収量がとれない、生活していかなくてはならない、大げさに言えば「生きていくために『やむなく』使っている」のです。

「本当にそうなの?」「他に方法な無いの?」性格の根っこにある天邪鬼が蠢きます。「有機農業で生計を立てることはできないのか?」

有機農業の現状を調べたり、農業体験に行って話を聞いてみたりしてみても明確な答えが出るはずもなく、「やってみるしかない」という当たり前の結論に至りました。

2005年12月に三菱UFJ信託を退職以後、有機農業に携わってきました。

「経済的」に成功しているかと問われれば、答えには疑問符がつきます。しかしこれだけの年数を有機農業を糧として生活してきたという自負もでてきていて、「成功」とはいえないまでも「存在できている」ぐらいは言ってもいいのではないか、と思っています。

この間私のなかで大きく変わったのが、「農薬が自身にかからないため」の有機農業だったのが、『自分「にも 」消費者「にも」環境「にも」やさしくあるため』の有機農業になったことです。

「にも」の分欲張りになりました。

有機農業を営んでいくにあたり力を貸してくださった方々、私の作物だけを買いにファーマーズマーケットに足を運んでくれるお客様、日々の畑で気づく多様な生き物たちから、実際に体感できた喜びが「欲張り」にさせています。

有機農業は農薬に焦点が当たりがちで実際私もそこがスタートなのですが、「化学肥料を使用しない」ということも有機農業を成立させる大事な要素です。

作物の成長のためだけならば、化成肥料のほうが効率が良く、作業としても楽です。ですが、それだけだと土の中にいる微生物はいなくなります。

土の中にいる微生物は有機物を餌にしています。この餌にする過程で有機物は分解され、作物はその分解されたものを取り込んで葉や茎や果実にしていきます。つまり、多様かつ多量の微生物がいる土は、作物がたくさん栄養をとることにつながります。                                                多種多量の微生物が生息できる土は、有機物を一気に入れればできるというものではなく時間をかけて紡ぎ出されていくもので、有機物が継続して土に入っていくことで年数をかけてできあがっていきます。               土はゆっくりゆっくり豊かになっていくのです。

この土の豊かさは、検証がなかなか難しいのですが、食味につながっていると思うのです。同じ糖度の作物でも味が違うということは、こういうところからきているのではないでしょうか。

そして豊かになった土は多様な微生物も生き物も呼び込んできます。

消費者「にも」の点では農薬のことだけではなく、美味しさも大事です。

環境「にも」の点では生物の多様性は最も必要なことです。

この二つの「にも」のためにも化学肥料に頼らず有機肥料のみで栽培する意義があります。

そして、有機農業を続けてきたことは、自分「にも」こんな風に考え方がひろがり、収入だけでは無い人生の豊かさに気づかせてくれています。

ひとり農業について

「ひとり農業」をしているテレビ番組がありますが、それに影響されたわけではありません。むしろ私の方が早いんじゃないかな?

それはどちらでもよいことで、実際私はひとりで「やりきる」ことに重きを置いていて、パートさんも雇っていません。

農業は「大変だね」と言われるのは、気候・天候に左右され、不安定要因が多いからです。私自身も就農当時そう思っていました。

不安定要因を克服できるかどうかは分からないので、「やってみるしかない」と農業に踏み出したものの、失敗・断念となったときの影響は最小限、つまり私だけに収めたいというのが「ひとり農業」の始まりです。パートさんといえども、そうなった時は期待していた収入を失うことになります。

現時点ではリスクヘッジのための「ひとり」に加えて「ひとり」でやりきれることにも意義があると考えています。

私は大規模農業を否定するつもりはありません。むしろそれができる農業者は積極的に拡大していくべきだと思います。ただ、それは「何のため?」という問いを忘れずにいてもらいたいと願っています。

大規模化の最大の目的はコスト削減でしょう。コストを下げて輸入作物に対抗するというなら、まだ理解できます。ですが、輸出のためとなると、その前にやるべきことががまだあるんじゃないの?と思ってしまいます。

私達は今、何があっても食べ物には困らないと言い切れる環境にいるでしょうか。

この問いに「大丈夫だ」と答える役割が農業にはあると思うのです。

その農業が疲弊している。

農業が疲弊しているのは簡単に言えば「儲からない」からです。そして、なぜ儲からないかとといえばコストに見合う価格で売れないからです。

この価格を上げるということの方向に政策があったか、どれだけ農業者の自助努力があったのか、私は疑問視しています。

天候不順などで不作になると、「キャベツが例年の2倍」「家計に打撃」なんていう報道がなされて、消費者の嘆きが伝えられたりします。そんなニュースを見聞きすると私の中の天邪鬼がまた動きだします。

「例年」の価格がおかしかったんじゃないの?だから今の農業の現状なんじゃないの?

何種類かの野菜が値上がりしたからといって本当に「打撃」なの?

打撃を受けているのは農業者なんじゃないの?

これは、「何のために」を忘れたとは言いませんが、「安くないと売れない」という方向に流され過ぎた結果だと思います。

国際基準と比較して高かったとしても消費者に理解を得てもらうための政策があってよかったし、農業者側も「所詮消費者は価格しか見てねぇんだ」なんて毒づく前に、自身の農業の社会的意義を見出し、プライドを持った価格を訴えかけるべきだったと思います。その旗振りは農協が果たしてくるべきで、「生産者が食えなくなる」といった点だけの価格闘争に終始した責任は重いのでしょう。

今となってはもう遅い、そうかもしれません。

ですが、私自身は「今からでも」という気持ちでいますし、「やってみるしかない」と思っています。

農産物が消費者の皆さんに「高くても仕方ない」と納得してもらえる手段はあまりありません。でも有機農業は最も理解してもらえる可能性が高いのではないかと考えています。

その有機農業を「ひとりでやりきる」ことは、リスクを最小限にして、消費者の皆さんと「食を守る事業」を共にできる可能性を秘めています。

そして、「ひとりでできるんだ」ということになれば、チャレンジしてくる層も広がりを持ってくると思うのです。規模が必要になったらそういう農業者と連帯していけばいい。

そのようにして、小規模ながらも意欲的な農業者が増えていくと、その地域はより豊かになっていくと思っています。

農業者は地域に根差しています。

「農業が身近にある」地域

「顔の見える農業者がたくさんいる」地域

それは経済的な数値では出てこない「豊かさ」をもった地域になっていけるのではないでしょうか。

私はときどき小学生の登下校を眺めていることがあります。見守りなんて大それたものではなく、「微笑ましいなぁ」と休憩がてら見ているだけです。私自身がそうやって見てもらっていた小学生でした。そのときにもらった焼き芋のことを未だに憶えていて、大人になってからですが地域の温かさに気づくことができました。

農業者が増えていけばそんな光景があちこちに発生してくると思うのです。

子供たちを守る仕組みは必要です。でもその前に、あちらこちらで微笑ましく眺めている人達がいて、子供達がそれに包まれている、そんな豊かさができたら素晴らしいと思うのです。

トラクターやドローンばかりが活躍している農業にはできないことです。 

地域貢献というにはささやかなことかもしれません。でもそんなささやかな豊かさが失われつつあるのではないでしょうか。

私が「ひとりでやりきる」ことにこだわってるのはこんなところにあります。

もうひと踏ん張りして、「ひとっちゃんの有機畑」が揺るぎないところまできて、そのうえでより高見を目指そうと決意できたときには私なりの「拡大」を模索しようと思います。


掲載記事


中日新聞2014年7月8日

日本経済新聞2018年12月8日

日本農業新聞2014年6月4日

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